■ 悲劇が起きたコロンビア代表1994年のアメリカW杯のアジア最終予選はJリーグ元年の1993年の秋に開催された。日本・韓国・サウジアラビア・イラン・北朝鮮・イラクの6か国がカタールに集結して総当たりのリーグ戦が開始されたが、よく知られているとおり、オフトJAPANはW杯初出場まで目前に迫っていたが最終のイラク戦の後半の終了間際にヘディングで同点ゴールを許してドロー。あと少しのところでW杯の出場権を獲得できなかった。
「ドーハの悲劇」と呼ばれているがJリーグブームと相まってかつてないほどサッカーならびにW杯に対する注目度が高まった。ドーハの悲劇から約8か月後に行われたアメリカW杯は日本でも大きな注目を集めた。4年前のイタリアW杯というのは日本では一部のマニアしか注目しない大会だったが4年間で環境は一変した。「初めて観たW杯は1994年のアメリカW杯」という人が日本では非常に多くなると思われる。
サッカー後進国と言われたアメリカでの開催だったので「本当に盛り上がるのか?」が心配されていたが杞憂に終わった。アメリカ代表が快進撃を見せてベスト16入りを果たしたことも盛り上がりに拍車をかけた。GLの2戦目のアメリカ vs コロンビアは地元のアメリカが勝利して大金星を獲得するなど1勝1敗1分けの3位で決勝トーナメント進出を決めた。決勝トーナメントでもブラジルを相手に好勝負を演じた。
当時のコロンビアは司令塔のMFバルデラマを中心に快速フォワードのFWアスプリージャ、長身のMFリンコンなどタレントが豊富だった。南米予選でアルゼンチンに5対0で勝利するなど「優勝を狙えるチームの1つ」と言われていたが1勝2敗の最下位で大会を去ることになった。アメリカ戦でオウンゴールをしたDFエスコバルが帰国後に射殺されるという痛ましい出来事も起こったが賭博絡みの事件とも言われている。