■ ロッテルダムでの4年半
小野伸二のヨーロッパサッカーへの挑戦の道は、浦和復帰が決定して、ひとまず休息した。ロッテルダムでの4年半をふりかえってみたい。
伸二のフェイエノールト移籍が決定したのは、2001年のコンフェデの直後だった。中村俊輔の怪我でめぐってきた、千載一遇のチャンス。本人が、「2002年の代表に選ばれるためのラストチャンス」と意気込んだ大舞台で、慣れない左サイドで躍動した。カナダ戦では、先制のフリーキックと3点目のアシストをマークして、才能を示した。
■ 華やかな活躍
フェイエノールト移籍後も、ずっと、華やかな活躍を見せてきた。当初は、左アウトサイドでの出場が多かったが、右アウトサイド、トップ下、左ボランチとさまざまなポジションで試された。シーズン途中で、左ボランチとしてレギュラーをつかむと、レジスタとしての才能が一気に開花。コントロールタワーとして、移籍1年目のシーズンは、UEFAカップを獲得に貢献した。
凄みを増したのが、2年目のシーズン。もっとも印象に残っているのは、チャンピオンズリーグの予備予選のフェネルバフチェ戦。1stレグ、2ndレグとも決勝のゴールを挙げる大活躍で、チームを本線に導いた。このシーズンでは、得点力がアップして、さらに完成された、セントラルミッドフィールダーになった。機を見て、前線に飛び出していってゴールを決めるのは、よく見られるシーンとなった。
■ 苦しんだ時期
苦しんだ3年目と4年目。フェイエノールトの戦術は伸二に頼りすぎるものになった。その結果、伸二の顔からは笑顔が消えていった。トマソン、ファン・ホーイ・ドンク、ボスフェルトら中心選手を次々に放出したが、代わりの選手は頼りにならない。相手DFのつぶしのターゲットにされることが多くなって、目に見えて怪我が多くなった。
フェイエノールトでの4年半、怪我でもない限り、常にポジションは安泰だった。フェイエノールトクラスのビッグクラブで、これだけの安定した地位を獲得した選手は、日本人では初めて。おそらく、日本人が思っている以上に、ロッテルダムで愛されていたことだろう。同じ日本人として、誇りに思う。
ボクは、今回の移籍を、ネガティブにはとらえていない。つかの間の休息が、伸二には必要だった。そして、その場所が、浦和にあった。だから、日本に帰ってきた。そう理解している。今回、レッズに復帰することになったが、これは一時的なものだろう。ワールドカップで活躍してまた再び、欧州の舞台で活躍する姿を見たい。
ボクは、伸二の未来に関しては、まったく心配していない。うまい選手は、世界中のどのクラブに行っても、サポーターから愛されるものだから。
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