■ わずか1年で甲府への復帰が確定昨オフにJ1の甲府からJ2の京都に完全移籍したMF堀米勇は新天地で37試合で7ゴール8アシストの活躍。FWエスクデロと共に京都の攻撃の中心として活躍したので京都のサポーターにも愛された。創造性溢れるプレーが出来る数少ないJリーガーの1人なので希少価値の高い選手であるが、今オフ、京都を離れて古巣である甲府に復帰することになった。決意の完全移籍からわずか1年での甲府復帰は驚きだった。
「甲府の下部組織の最高傑作」と言われるMF堀米勇はプラチナ世代を代表するアタッカーである。2009年に行われたU-17W杯のときはレギュラーとして3試合すべてに出場。高校3年生だった2010年に甲府のトップチームと正式にプロ契約を結ぶと2012年はJ2で21試合に出場した。その後、出場機会に恵まれなくなると2013年の途中にJ2の熊本に期限付き移籍して、2014年はJ2の愛媛FCに期限付き移籍した。
熊本でも光るプレーを見せていたが才能が開花したのは2014年の愛媛FC時代である。攻撃の中心の1人として42試合で8ゴール7アシストを記録。飛躍的な成長を遂げて1年半ぶりに甲府に復帰してきたが2015年はJ1でわずか12試合の出場のみ。主に守備面の不安が拭い去れずに監督の信頼を勝ち取ることは出来なかった。昨オフ、京都に完全移籍したので甲府との関係は絶たれたが1年で古巣に戻ることを決めた。
■ 今回の移籍をどのように評価すべきなのか?思い出されるのはC大阪との昇格プレーオフの準決勝で敗退が決まった後、泣きじゃくっていた姿である。J1昇格を逃したことで石丸監督の京都での立場が危うくなって一緒にサッカーが出来なくなることを予感した故の涙だったのか、あるいはこの時点で甲府から正式なオファーが届いていて「この試合が京都での自身のラストゲームになること」を意識した上の涙だったのかは定かではないが普通の精神状態ではなかった。
MF堀米勇を語るとき恩人である石丸監督の名前を外すことは出来ないが、2014年に期限付き移籍先の愛媛FCで大ブレイクしたときの監督であり、昨オフにMF堀米勇の能力を買って指揮を執る京都に呼んだのも石丸監督である。今のところ、プロの世界では石丸監督の下でしか輝けていないというのは紛れもない事実である。『MF堀米勇が活躍できるのは石丸監督の下でプレーした時だけ。』と言われてしまうほどである。
石丸監督が任期途中で京都の監督を解任されたことも今オフに甲府への復帰を決めた大きな理由の1つかもしれないが、MF堀米勇の甲府への移籍というのは今オフのJリーグの全ての移籍の中で最も評価に困る移籍である。攻撃の中心となる選手が抜ける京都にとって良くない移籍であることだけは間違いないが、本人にとって、甲府にとって、いい移籍と言えるのか?否か?を判断するのは非常に難しい。