中田英寿とノスタルジックな日韓戦
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■ 10年前にタイムスリップ
時は1997年5月21日。場所は東京の国立競技場。2002年のワールドカップの共同開催を記念した日本代表と韓国代表の親善試合である。フランスワールドカップ予選の真っ只中で、一次予選の後半(日本ラウンド)を控えた日本代表がライバル韓国をホームに迎えた。注目を集めたのは、ベルマーレ平塚所属の20歳のMF中田英寿。彼の代表デビュー戦である。
96年の年末に行われたアジアカップ96では、準々決勝のクウェートに敗れてベスト8止まり。(ここ最近の4大会のうち、アジアアップで敗れたのはこのクウェート戦のみ。)期待された五輪代表のエースMF前園が代表落ちし、一次予選のオマーンラウンドでもオマーンに苦戦。流れは良くなかった。
日本は、GK川口。DFは4バックで、右から中村忠、井原、小村、路木。中盤はボックス型で、本田・山口・中田・名波。2トップは、城とカズ。中田英寿は名波浩とのコンビでゲームメークを任された。一方の韓国代表は、<3−6−1>の布陣。MFユ・サンチョル、MFコ・ジョンウン、MFチェ・ソンヨン、DFチェ・ヨンイル、DFイ・ミンソンら、おなじみの選手がスタメン出場。監督は、加茂周とチャ・ブンクン。
■ 技巧がさえる日本の中盤
試合前半は、ホームの日本が圧倒。中盤の中田と名波のキープ力を生かして、両サイドバックの中村と路木の前進を促す。2トップは、城に対してイ・ミンソン、カズに対してチェ・ヨンイルがハードマークで対応するが、マッチアップでは日本の2トップが優勢。効果的なタメを作った。
日本は、中田・名波・山口・本田の中盤の4人のバランスが素晴らしく、韓国の堅い守備を、技巧で翻弄した。中田は、これが代表デビュー戦とは思えないほど、チームに溶け込んでいた。中田というと、「パサー」のイメージが強いが、彼はスペース察知能力が誰よりも優れていたので、パスの受け手としても能力を発揮。名波が下がってボールを受けて、名波からのボールをスペースに飛び出した中田がDFラインの裏で受けて放った決定的なシュートシーンのように、韓国DFは縦横無尽に動く中田をマークしきれなかった。
中田と名波のコンビネーションは非常に良かった。フランス大会でも、日韓大会でも、<3−5−2>のトップ下でプレーした中田だが、<4−4−2>で周りのサポートが十分な状況でプレーさせてあげれば、面白かったかな・・・。
■ 執念のドロー
思うようなサッカーが出来ない韓国は、18歳の天才MFコ・ジョンスを投入する。一時期、京都サンガでもプレーした、トリッキーなプレーで将来を嘱望されていたテクニシャンである。先制点は、後半15分過ぎに、そのコ・ジョンスの左足から生まれた。右コーナーキックから、ユ・サンチョルが素晴らしい打点の高さから、ヘディングシュートを突き刺した。マーカーのDF小村を振り切って決めたファインゴールだった。
リードを許した日本は、MF本田に代えてMF森島を投入する。しかしながら、後半頭から、城に代わってプレーしていたFW西澤がブレーキとなって、チャンスを生かしきれない。中田は精力的に動き回って、攻撃を活性化する。ようやく日本の攻撃が実ったのは、後半40分過ぎ。相馬のクロスからPKを得た日本は、エースのカズが決めて同点。結局、試合は1対1で終了した。
■ あれから10年
あれから、ちょうど10年の年月がたった。この試合の日本代表のメンバーの中では、中村忠・相馬・井原・本田・中田・城・路木がすでにピッチを去っている。当時30歳のカズはまだ現役だが、名波・小村・山口・斉藤・森島らと同様に、プレーヤーとしては最終局面を迎えている。川口能活だけは、今も代表メンバーだが、時代の流れを感じずにはいられない。
トルシエジャパンは、中田英寿・稲本潤一・松田直樹・鈴木隆行ら、世界基準の強さをもった選手を中心にメンバーを構成したが、このころの加茂ジャパンは名波を中心にきめ細やかなサッカーを披露した。世界と戦うには足りないものも多かったが、このころの日本代表は、良くもも悪くも、日本らしいサッカーだった。「繊細さ」と「ナイーブさ」という2面性を持つ危ういチームで、世界基準のチームではなかったが、確かに魅力的なチームだった。
対する韓国代表。前半は、日本代表のパス回しに翻弄されたが、後半に入ると個の力を前面に押し出す韓国らしいサッカーを見せて日本を苦しめた。サイドアタッカーのMFソ・ジョンウォンやMFコ・ジョンウンの馬力は、日本の選手にはない特徴であり、このころの日本代表はいつも苦しめられた。
■ 世界基準を知る大切さ、そして・・・
この試合からほぼ1年後のフランスで、日韓両国とも惨敗を喫する。1997年。多分、このころは、日本・韓国とも、選手・サポーター・協会のいずれもが、「世界基準」を知らなかったし、知る由もなかった。だから、日本代表は日本らしいサッカーを、韓国代表は韓国らしいサッカーを見せることができたのだと思う。
名波浩は、セリエAのベネチアでは、思うような活躍ができなかった。彼は世界基準の選手ではなかったが、だからといって、彼の価値が下がるわけではないだろう。素晴らしい選手であることに変わりはない。
確かに「世界基準」の目をもってプレーヤーを評価することは大切だが、それによって、感じ取ることのできない(見落としている)プレーヤーの良さが、たくさんあるのではないだろうか?そうだとしたら、今のサポーターは、実に不幸である。
フランス大会の後、日本代表はトルシエ監督を迎え、韓国代表は(紆余曲折ありながらも)ヒディンク監督を迎えて、ともに2002年W杯では決勝トーナメント進出を果たした。そして、両国とも、中心選手が欧州リーグでプレーする時代に入っていった。中田英寿の代表デビュー戦は、日韓両国が世界を知る少し前の試合だった。日本代表が日本らしく、韓国代表が韓国らしく戦った、最後の日韓戦だったのかもしれない。
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