■ 話題になった一冊年末年始に話題になった『
それでも「美談」になる高校サッカーの非常識
』という本を読んだ。スポーツライターの加部究さんの本で2013年11月23日に発売されており、「高校サッカーの現場を丹念な取材によってその実情、問題の背景をあぶり出すとともに、新風を吹き込む指導者の実例も挙げながら育成のあるべき姿も照らし出す、高校サッカーに関わるすべての人、必読の一冊。」と紹介されている。
加部究さんの息子は、甲府と北九州でプレーしたFW加部未蘭選手であるが、「おわりに」の項目で書かれている未蘭選手に関する話というのがなかなか興味深い。「サッカーという競技の真実が隠されているのだと思う。」とまで書かれているが、なかなか大成できない息子に歯がゆさやもどかしさを感じつつ、一方では、スポーツライターの視点から、冷静に現状と問題点を分析できていると思う。
インパクトのある本のタイトルについて補足すると、『それでも「美談」になる』の「それ」というのは、「(高校選手権の中継などで)痛み止めの注射を打ったり、大きな故障を短期間で克服したりして、強行出場すること」を指していると思うが、この本がどういう内容になっているのか?については、目次などを見るとすぐに分かると思うので、書き出すと以下のようになる。
「楽しむ」ことが悪になる部活スポーツに未来はない!
指導者による体罰という名の暴力、執拗なしごき、非合理的な練習、放置される部員同士のイジメ、公式戦に出られない大量の補欠部員……。「涙のロッカールーム」「日本代表選手を育てた」に象徴される「美談」の数よりはるかに多くの「犠牲者」が存在する高校サッカー。
理不尽な指導はなぜなくらないのか?なぜいつまでたっても真の「プレーヤーズ・ファースト」が浸透しないのか?勝利至上主義、ひと握りの栄光の陰で、部活でサッカーを嫌いになったり、燃え尽きてしまったりする子どもを多く生み出すことが本当に日本のサッカーのためになるのか――。
<目次>
●第1章 暗闇 高校サッカーの不都合な真実
大成した選手の陰で多くの犠牲者が出ている/ピッチを往復して選手を殴り続けた“名将” / 選手権優勝メンバーにも燃え尽きた子は多い/ブランド志向で伝統校に入るも3年間試合出場ゼロ / 「質」より「量」の非合理的な練習で怪我人続出…etc
●第2章 葛藤 指導者たちが抱えるジレンマ
スパルタ式の鬼監督が抱えていた葛藤/部員が辞めないことを大切にした名門校の変革/中田英寿の反論がきっかけで自らを見つめ直した指導者…etc
●第3章 土壌 理不尽な指導がなくならない理由
一世を風靡した「スポ根」が生み出したもの/非効率的な練習の代表格は「走り込み」/「精神力」を忍耐に置き換えてしまう風土/人格形成に重きを置いたドイツの育成改革/多くの才能を素知らぬ顔で切り捨てる某名門校の監督…etc
●第4章 新風 「楽しむ」を悪にしない指導者たち
大人数でも練習機会を平等に与えるアイデア/選手との信頼関係の築き方を創意工夫する方法/「指導者はサービス業」の理念を徹底する/ボトムアップの指導法で選手を伸ばす…etc
●第5章 未来 「育成」のあるべき理想像とは?
高校の実態は明らかに「マネージャーズ・ファースト」/育成段階の試合で選手を使うのは指導者の義務/高校の練習事情から見える日本サッカーの伸びしろ…etc
■ 新しいタイプの指導者「まだ、高校サッカーではこんなことが行われているのか・・・。」という風に話題になったので、ネガティブな話ばかりが綴られているかと思っていたが、旧来型(とここでは表現するが)の指導とは異なるやり方で成果を挙げているチームや指導者もいくつか紹介されている。成立学園高校の宮内聡総監督(元日本代表)、作陽高校の野村雅之監督、堀越学園の蔵田茂樹監督(元C大阪)、滝川二高の黒田和生監督などなど。
中でも印象に残ったのは、畑喜美夫監督が率いたときの広島観音高校の話である。「ボトムアップ理論」と言われているが、選手の主体性を引き出すためにメンバー選考や戦術などは選手自身で決めており、全体練習も週に2回あるいは3回だけ。当然、全く結果が出ていないのであれば、ピックアップする価値は無いが、広島観音高校は2006年のインターハイを制覇するなど、見事な実績を残している。
また、元Jリーガーの蔵田監督が率いる堀越学園もメンバー選考や試合中の選手交代は選手たちが決めているという。(もちろん、監督やコーチのやる気が無くて、選手に全てを丸投げしているわけではない。)メンバー選考であったり、試合中の選手交代まで、(キャプテンを中心に)選手自身で決めてしまうというのは、高校サッカーに限らず、あらゆるスポーツでほとんど聞いたことが無い話なので、非常に新鮮である。
当然、こういうことができるのは、選手たちが心身ともに成熟していて、サッカーをよく知っているからである。このレベルまで持ってくるのは大変だったと思うが、言われるがままに動いている選手たちよりも、やりがいはあるだろう。一方、(監督やコーチもある程度の結果が求められることを考えると、)口出しをせずに見守っているというのは、ストレスになると思うが、指導者としての器の大きさを感じる。
■ 高校サッカーの負の部分この本が「旧来型」を批判するだけであったならば、耳を傾ける意味は小さくなるが、『「育成」のあるべき理想像』にもかなりのページを割いている。『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識」』というタイトルは煽動的であり、それに嫌悪感を覚える人もいると思うが、「育成」や「指導」について考えるいいきっかけになる。なかなかの良書に仕上がっていると思う。
ただ、1章や2章や3章で書かれている「高校サッカーの負の部分」の描写については、どうかな?というところもある。(ちなみに、「高校サッカーにつぶされた(or つぶされかけた)例」として、Aさん・Bさん・Cさん・Dさん・Eさん・Fさん・Gさんなどが登場するが、イニシャルで表記されることがほとんどで、高校名も伏せられていて、「全国選手権の常連校」、「強豪校」などと書かれている。)
悲しいエピソードが続いていくので、ピュアな人や素直な人は、「けしからん。」、「(高校サッカーは)もっとまともだと思っていた。」、「夢を断たれた選手はかわいそうだ。」、「日本サッカー協会は何をしているのか・・・。」という感想を持つかもしれないが、正直なところ、その悲しいエピソードがどこまで真実なのか、怪しいところもある。話を面白くするために盛っているのでは?という感じもする。
例えば、1章に出てくるBさんは「Jクラブのジュニアユースで活躍して、卒業後には、全国屈指の強豪校に進んで、卒業後は、Jリーガーになることが決まりかけていた。」と紹介されている。しかし、高校の3年間で心身ともにいじめ抜かれて、サッカーが恐くなってしまった。結局、プロの道に進むことは無くて、「やっぱりサッカーはもういいや。」と言って、スパイクを脱いでしまったという。
これだけ読むと、『Jリーガーの予備軍が「部活」によってつぶされてしまった。』と言えるが、Bさんは「2年時途中から監督に嫌われ、試合では一切使われなくなった。」とも書かれている。どういう理由で嫌われたのか?本当に嫌われていたのか?という疑問もあるが、何よりも、2年生の途中から一切試合に使われなくなった選手が「Jリーガーになることが決まりかける。」というのは、普通では考えられない。
『実際の現場でこういうことが行われているのであれば、実名で告発すべき。』という意見が多かったが、個人的には、「選手の名前」、「高校の名前」、「監督の名前」を公表するのは難しいと思う。なので、匿名であることは仕方がないと思うが、「話を面白くするためにオーバーに記述しているのではないか?」と思わざる得ない部分がいくつかある。したがって、全てを鵜呑みにするのは危険だと感じる。
(後編)に続く。
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