■ 現役引退を表明横浜フリューゲルス、横浜Fマリノス、東京ヴェルディ、ヴィッセル神戸、横浜FCでプレーした元日本代表の三浦淳宏選手が現役を引退した。J1では323試合で45ゴール、J2では109試合で20ゴール、日本代表では25試合で1ゴール。2000年のシドニー五輪はオーバーエイジで参加し、2試合目のスロバキア戦でMF中田英寿のゴールをアシストする活躍を見せた。
左のアウトサイドが主戦場であったが、中央でのプレーも可能で、ウイングでも、ウイングバックでも、サイドバックでもプレー可能なユーティリティーな選手だった。フリーキックが注目されたが、ドリブルで突破する能力も高かった。
■ 必殺のブレ球Jリーグにデビューしたのは1995年。大学を中退して横浜フリューゲルスに入団すると、初年度から51試合に出場して6ゴールを記録。当時の横浜フリューゲルスは個性的なプレーヤーが揃うタレント集団で、ブラジル代表のMFジーニョ、MFサンパイオ、FWエバイールがいて、日本人も、五輪代表エースのMF前園真聖を筆頭に、GK森敦彦、MF山口素弘、GK楢崎正剛と力のある選手が揃っていたが、すぐにポジションを確保した。
MF三浦淳宏というと「ブレ球のフリーキック」である。近年、ボールが改良されてきたこともあって、ブレ球を蹴る選手は珍しくなくなったが、90年代に「ブレ球」を蹴ることの出来る日本人選手はほとんどおらず、文字通りの「スペシャル・ワン」であった。直接フリーキックからのゴールは15ゴールでJ1では最多という。
日本代表では、なかなか出番が回って来ずに、25試合で1ゴールのみ。ただ、その唯一のゴールは1999年の南米選手権のペルー戦でマークしており、得意の直接フリーキックからのゴールだった。
■ 日本人屈指のフリーキッカーかなり前に、「Jリーグ史上最高のフリーキッカーは誰か?」というテーマでエントリーを書いたとき、日本人で名前が挙がったのは、三浦淳宏、岩本輝雄、中村俊輔、遠藤保仁、本田圭祐の5人だった。もちろん、MF三浦淳はゴールも多かったが、スーパーゴールも多くて、フリーキックから印象的なゴールを何度も決めている。
特に印象的なのは、東京スタジアム(味の素スタジアム)のこけら落としの試合でのゴールであり、30メートルはあろうかという位置から「ブレ球」で直接決めて、東京スタジアムのファーストゴールをマークした。東京ヴェルディが東京に移転した最初の試合であったので、東京ヴェルディとしての初ゴールでもある。
「ブレ球のキッカー」というと日本人ではMF本田圭の名前が挙がる。MF本田圭はCLやW杯といった大舞台で決めてしまうメンタリティが魅力であるが、精度という点ではそれほど高くはない。「ブレ球のキッカーとして、誰が歴代の日本人で№1か?」というアンケートを取ったら、多くの人はMF三浦淳の名前を挙げるだろう。それほど、彼のキックの特別であった。
■ 不遇のとき① 惜しまれるのは、日本代表で思ったほどの活躍ができなかったことである。プレーヤーとしてピークにあったのは、トルシエジャパンとジーコジャパンの時代であり、2002年と2006年のワールドカップに出場するチャンスはあったが、残念ながらメンバーには入れなかった。
特にトルシエジャパンは、<3-5-2>を採用しており、左右のウイングバックをこなすMF三浦淳に期待する声は大きかったが、トルシエ監督は右サイドはMF明神、MF伊東、MF望月といったボランチ系の選手を起用し、左サイドはMF中村俊、MF小野伸といったゲームメーカータイプを起用。本格的なサイドアタッカーはあまり好まなかった。
シドニー五輪ではオーバーエイジながら招集されているので、評価は高かったと思うが、めぐりあわせもあったのだろうか。期待どおりの活躍とはいかなかった。
■ 36歳での引退一方、クラブチームでは横浜フリューゲルスの消滅という悲劇もあったが、横浜Fマリノス、東京ヴェルディで中心選手として活躍。点も獲れるサイドアタッカーとして活躍をみせたが、晩年はやや苦しんだ。
歯車が狂ったのは2007年シーズンのこと。2005年にヴィッセル神戸に移籍すると、2006年のJ1昇格に大きく貢献し、「ヴィッセル神戸の顔」となったが、当時の監督とのすれ違いがあって、チームを退団せざる得なくなった。この時の神戸は、FW大久保、FWレアンドロといった優秀なストライカーもいて、総合力が高いチームだったので、このままヴィッセル神戸でプレーし続けていれば・・・、という気はしてしまう。
それでも、MF前園、FW小倉、FW城、MF中田英といった同年代のアトランタ組が、怪我等の影響もあって、かなり早い時期に現役を引退することになったことと比べて、36歳まで現役を続けられたというのは立派である。2007年に横浜FCに移籍してからは、なかなかコンディションが整わなかったが、それでも、キックの精度は最後まで落ちておらず、プレイスキッカーとしては、相変わらず、危険な存在だった。
「アツ」というと「ブレ球」であり、「ブレ球」というと「アツ」である。これだけ、分かりやすくて、魅力的な武器を持つ選手は、なかなか、出てくることはないだろう。
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