■ アテネからドイツへ続く道・・・アテネ五輪に出場した選手のなかで、本大会のメンバーにエントリーされたのは、オーバーエイジ枠で出場した、MF小野伸二を除くと、右サイドバックの駒野友一だけ。
山本昌邦アテネ五輪代表監督は、「アテネ経由ドイツ行き」というフレーズを頻繁に用いて、選手達を鼓舞したが、結局、アテネからドイツへの道は、わずか1本しか通っていなかった。
■ いつか爆発する矛盾谷間の世代といわれる、1981年~1984年生まれの選手達。それでも、彼らはJリーグでは主役の座を勝ち取りつつある。MF阿部勇樹、DF闘莉王、FW佐藤寿人、FW田中達也、MF鈴木啓太、FW前田遼一、MF今野泰幸、MF長谷部誠、DF茂庭、MF石川・・・。実力的には、遜色はなかったが、彼らに出番は回ってこなかった。
ジーコが保守的だったとか、若手の力が足りなかったとか、いろいろな要因があるが、主要なもののひとつに、フル代表と、若年層の代表チームのサッカースタイルの違いがあげられる。
若年層の代表チームは、ほとんどが、「ボールを奪う→すぐにトップに当てる→サポート→サイドに展開→センタリング→シュート」というサッカーを徹底して行っている。ジーコのポゼッションサッカーとは、対極の位置にあるサッカーである。
どちらのサッカーが日本にあっているのか、まだ、よく分からない部分もある。それでも、目的(ゴール)がはっきりしていなければ、みんなに惑いが生まれる。ユース世代では、すでに矛盾が生じはじめている。いつかどこかで、誰かが、修正をしないと、大変なことになるだろう。ドイツ大会は、最終の目的地ではない。
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