意外と知られていないJリーグのエピソード集(その2)
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→ 意外と知られていないJリーグのエピソード集(その1)
【初級編】
・1993年シーズンは、「サドンデス(突然死)方式」と呼ばれた「延長戦」であるが、響きが悪いということで、1994年から「Vゴール方式」に名称が改められた。
・清水エスパルスの長谷川健太監督と漫画家のさくらももこは同じ小学校出身の同級生である。
・アルビレックス新潟のGK北野貴之。ニックネームの「ほっかも」は「北海道のカモ」の略である。
・ヴィッセル神戸の松田浩監督は、Jリーグ史上屈指のロングシュートのスペシャリストとして知られる。サンフレッチェ広島時代には、DFながら、数々のスーパーゴールを決めている。
・Jリーグのファーストゴールを決めたヴェルディ川崎のFWマイヤー。彼はオランダ人である。
・ジェフ千葉のホームスタジアムであるフクダ電子アリーナは、日本のスポーツスタジアムでオープン当初からネーミングライツを使用した初めてのスタジアムである。収容人数は約2万人で、ベガルタ仙台のホームスタジアムであるユアテックスタジアムをモデルに作られている。
・ベガルタ仙台のチーム名の「ベガルタ」は、「織り姫」と「彦星」とされる星の名前(「ベガ(Vega)」と「アルタイル(Altair)」)を合わせた造語である。
・鹿島アントラーズのDF新井場徹はガンバユース出身。ガンバユースの同期には、MF稲本潤一とMF橋本英郎がいる。
・アルビレックス新潟のGK野澤洋輔は清水ユース出身。清水エスパルスでは2年間は出場機会がなかったが、アルビレックス新潟に移籍してポジションをつかんだ。
・浦和レッズのFW田中達也は帝京高校の3年生だった2000年に、強化指定選手としてFC東京に登録されている。
・愛媛FCのチームカラーは「オレンジ」。これは愛媛県の特産物であるミカンの色にちなんでいる。
・柏レイソルの右サイドバックの蔵川洋平は2000年に横浜Fマリノスに入団するも、1年で退団を余儀なくされた。その後、5年間、FCホリコシでプレーし、2006年に柏レイソルに加入した。
【中級編】
・浦和レッズのFW永井雄一郎は2大会連続でワールドユースに出場している数少ない選手である。ナイジェリア大会の準決勝では決勝ゴールを挙げているが、このときの所属は浦和レッズではなく、ドイツ2部のカールスルーエだった。
・息子にサッカーをさせるべく埼玉から千葉に一家で引っ越しを行った佐藤家。弟のFW寿人はすぐにジェフJrユースに入団できたが、兄のMF勇人はなかなかセレクションに合格できなかった。
・ベルマーレ平塚のホームスタジアムである平塚競技場。その7番ゲートの入口は、『HIDEゲート』と呼ばれている。
・「浪速のイタリアーノ」と呼ばれたガンバ大阪の本並健二。1993年7月7日のサンフレッチェ広島戦で、後半終了直前に相手選手と激しく接触し、腎臓破裂の重傷を負う。選手生命はもちろん生命の危機に陥った。
・川崎フロンターレのMF中村憲剛。名前は「けんごう」ではなく「けんご」である。
・モンテディオ山形で活躍するDF石川竜也。彼は筑波大学在学中にU-20日本代表に選ばれ、FIFAワールドユース選手権ナイジェリア大会(1999年)に出場。予選リーグのイングランド戦ではFKからゴールをマークしている。
・J屈指の強豪チームの清水エスパルスだが、Jリーグが表彰するベストイレブンとは縁が遠い。初優勝を飾った1999年には、GK真田雅則、DF斉藤俊秀、DF森岡隆三、MFアレックス、MF伊東輝悦、MF澤登正朗と一気に6人の選手が受賞しているが、それ以外のシーズンでベストイレブンに選ばれたのは1993年のDFの堀池巧しかいない。
・2002年ワールドカップメンバーのDF森岡隆三。長らく清水エスパルスで活躍したが、プロ入り後にまず所属したのは鹿島アントラーズで、1年間だけ在籍した。
・名古屋グランパスのMF中村直志は市立船橋高校出身。1997年の高校サッカー選手権の決勝でMF中村俊輔率いる桐光学園に勝利し、全国制覇に輝いている。ちなみに、中学時代は市原Jrユースに所属した。
・FC東京のDF藤山竜仁は東京ガス時代からの生え抜き選手。鹿児島実業高校時代は、前園真聖と同期である。
・PKのスペシャリストといわれるMF遠藤保仁。プロになってから公式戦でPKを失敗したのは2回。その2回ともジェフ千葉のGK立石智紀によって止められている。
・現清水の長谷川健太監督や浦和レッズのFW高原直泰、鹿島アントラーズのDF内田篤人らを輩出した清水東高校。サッカーの強豪校として有名であるが、プロ野球の大洋ホエルーズで活躍した山下大輔選手も清水東高校の出身である。
・1980年代に世界的なドリブラーとして鳴らしたアビスパ福岡のピエール・リトバルスキー監督。82年、86年、90年と3大会連続で西ドイツ代表をW杯の決勝戦まで導いている。
・兵庫県神戸市生まれのジュビロ磐田のFW前田遼一。家庭の事情で1歳半から7歳までロサンゼルスで暮らしていたが、英語は話せないらしい。
・茨城県土浦市出身のジュビロ磐田のFWカレン・ロバート。中学生時代は、柏レイソルのJrユースに所属、高校は市立船橋高校に進学した。
・アテネ五輪最終予選の全6試合で日本代表のゴールを守ったのは、当時、サンフレッチェ広島に在籍したGK林卓人だった。
・ヴァンフォーレ甲府のMF藤田健は小学生時代から名の知れた選手で、MF藤田のプレーを見た同郷で同級生のMF小野伸二がサッカーを止めようとした、というエピソードを持つ。
・鹿島アントラーズのFW田代は大学の在学中に強化指摘選手としてプロデビューしており、大分トリニータとサガン鳥栖の一員として試合に出場した経験を持つ。鳥栖では1ゴールをマークしている。
・清水エスパルスやヴェルディ川崎で監督を務めたエメルソン・レオン。現役時代のポジションはゴールキーパーで、ブラジル代表の守護神として活躍。4度のワールドカップ出場を経験した。
・横浜FマリノスのDF小宮山尊信は、もともとは右利きであったが、練習で左足のキックの精度が著しく向上し、左利きと表記されることもある。同じく、DF田中裕介も右利きでありながら左足も遜色なく扱える。
【上級編】
・アトランタ五輪本選に飛び級で出場したDF松田直樹とMF中田英寿。そのアジア予選では、当時、高校3年生で鹿島アントラーズに入団したばかりのFW柳沢敦も飛び級で代表メンバー入りしていた。しかしながら、出場機会はなかった。
・1968年のメキシコ五輪の3位決定戦で地元のメキシコを下して銅メダルに輝いた日本代表チーム。その3トップは、松本育夫、釜本邦茂、杉山隆一という組み合わせだった。
・1997年5月3日のベルマーレ平塚戦でプロ初ゴールを決めたMF中村俊輔。この試合では平塚のMF中田英寿と初対決したが、Jリーグで直接対決したのは、結局、この1試合だけに終わった。
・Jリーグの日本人初ゴールは、サンフレッチェ広島のMF風間八宏。1993年5月16日の市原戦でマークした。
・1998年に消滅した横浜フリューゲルス。その下部組織であるフリューゲルスユースも同時に消滅したが、当時、DF田中隼麿とFW坂田大輔が在籍し、2人は横浜Fマリノスユースに移籍した。
・2002年にジュビロ磐田に入団したFWグラウ。J1通算で45ゴールをマークしているが、1999年のワールドユースにもブラジル代表として出場している。ただ、1997年生まれが本当であり、出場資格はなかったと考えられる。
・Jリーグ史上、GKがゴールを決めたのは、浦和レッズの田北雄気(1995年)、京都サンガの松永成立(1999年)、横浜FCの菅野孝憲(2004年)、東京Vの高木義成(2006年)の4回のみである。
※ ガセネタが混じっている可能性がありますので、その真偽はご自分でお確かめください。
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